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神戸旧外国人居留地を歩く2 商船三井ビルディング
神戸の旧外国人居留地に残る近代建築探訪ツアー 続きです
まず MAPを見ていただきましょうね
より大きな地図で 神戸元町から 旧居留地 新港へ を表示
トアロードを南に下がっていきますと 国道2号線 通称海岸通に出ます その角に立っているのが 商船三井ビルヂング
旧大阪商船神戸支店として竣工したのは1922年(大正11年)で 設計は 渡辺節 アメリカルネッサンス長の大規模オフィスビルです
現在は1Fは 大丸インテリア館 骨董店が入っています
とっても美しいビルです 2号線の南西側から眺めています
地図では コバルト色のシズクの場所です

では 続きで 細部の凝ったつくりなどもたっぷりと見てくださいね
では 続きに行く前に いつものお願いです
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現在のビルの名称は 商船三井ビルディングです
1964年(昭和39年)、三井船舶(三井グループ)と大阪商船(住友グループ)が合併、「大阪商船三井船舶」(略称・商船三井)になり その後 正式名称が 「商船三井」になりました
現在は一階は 神戸大丸インテリア館として家具売り場になっています
ここが南に面した つまり海に向いた正面入り口です
昔は飛行機はなく 外国へ出かけるのは 船でした
神戸の港は ヨーロッパへのドアだったのです

このビルの竣工は大正11年
大阪商船は 第一次世界大戦後の大正7年12月に横浜ロンドン線を開設、さらにアントワープやロッテルダムに進出、
大正8年には香港ニューオリンズ線、基隆シンガポール、基隆アモイ線、大正9年に欧州線をハンブルクまで、香港ニューオリンズ線をカルカッタまでそれぞれ延長、パナマ経由ニューヨーク線、日本ジャワ・カルカッタ線を開設するなど、航路拡大をしていたのです
ステキな入り口です

ドアを開けて入ったら 船会社のカウンター 2回へ通じる螺旋階段 まるで豪華客船のようなつくり
残念ながら 今は百貨店の家具売り場 テーブルや椅子が並んでいました
建物西面です ルスティカ積みの石壁が重厚な感じで とっても美しいです

西面に入り口があるのです

入り口を正面から見てみましょう おしゃれですよ
正面が 大丸家具売り場 左手はアンティックショップです

船会社なので 飾りも船をデザインしてありました
中央のコインのようなのには帆船が浮き彫りにしてありました

窓には日覆いの赤いテント

建物の北面です 2階より上のオフィスビルの入り口です

入り口が空いていますよ ちょっと拝見

なかなか重厚なつくりです エレベーターホールの床は小さなタイル張りで 可愛い花柄ですよ
案内人の伯爵さんが写っています

建物の 南からです やはりこちら側が正面ですね 美しい!

海運会社の商船三井ですが 以前はこのビルが神戸の本拠でした
震災後ポートアイランドに移り そして 2010年4月 神戸支店は大阪支店と統合され 神戸オフィスはなくなりました
今このビルには こういうプレートが張ってありました
なになに 第2種大規模小売店舗業 ですって
船会社が多角経営をしているのですね

商船三井のオフィスを置かなくなっても 関連会社のオフィスも入っているし テナントもあるので この建物は存続と言うことらしいですので ひとまず安心です
この時代 神戸新港といって 埠頭が8本も有りました
1924年(大正13年)8月3日には 新港第四突堤(当初新港第一突堤)に神戸港駅(こうべみなとえき)が開業して、横浜港駅と同様に京都駅 - 神戸港駅間で日本郵船の欧州航路に接続するボート・トレインの運行が始められた。
第二次世界大戦勃発に伴い運行を休止し 戦後派飛行機の時代 復活することはありませんでした
夢よもう一度とはならなかったのです
戦後は 神戸港駅は 貨物駅として機能し コンテナ線として使われていましたが 2003年には完全に廃線になりました
JR灘駅南 阪神岩屋駅近くには 線路が残っていましたが 今はきれいに公園になっています
このビルの設計をしたのは渡辺節は 大阪のダイビル 綿業会館 近鉄百貨店京都店 の設計などで知られた人です
ダイビル 近鉄京都店 はすでに取り壊されもうありません
古い建物の贅沢さ 豊かさを生かした使い方をして 建物を取り壊すというのをできるだけ避けて欲しいですね
大阪の綿業会館は 文化財指定を受けています
この建物とトアロードをはさんで向かいあっているビルが また素晴らしい近代建築なのです
海岸通に面して立つ その名も海岸ビル 次回にご紹介します
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カメラ機種名 Canon EOS Kiss Digital X
撮影日時 2010/09/04
レンズ TAMRON AF 17.0 - 50.0 mm
カメラ機種名 Canon PowerShot G10
撮影日時 2010/07/18
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コメント
何時もながら、建築屋の私より詳しく記事を載せていますね。
私は施工が大好きであの石はどんな風に止めたのか?とか石の隙間に水が入ったら冬は凍って石を起こしちゃわないだろうか?とかあまり意匠に関心を持って見ることが無い・・・
見た目と歴史を本当に良くまとめているなぁ~って思います。
ほんと建築史の先生になれそうですね。学校の時も建築史の授業は苦手でした。力学と施工関係は得意だったのにね、未だに克服できません、あはははは。
栄ちゃんなら まず施工の際のことをいろいろと考えてしまうでしょうね
この年代になりますと 明治のものと比べるとこなれていてデザイン的にも洗練されてきますね
個人的には もっと洗練されていない日本の棟梁は苦労したような明治期の建築が好きです
でも あまりのこっていないのよねぇ
こんにちは~
龍馬伝を見ていると西洋風の長崎をちょんまげが歩いてて可笑しいのですが、
神戸も同じような光景だったんでしょうね。
トアロード、命名にそんな由来があったとは
そして今回のビルは一番のお気に入りでしたか。
タイムマシンがあれば建築当時の姿、周囲の情景、見てみたいものです。
オフィス部分、どんな光景なんでしょ (^^)
ダイビルは本当にショックでした。
日本の文化財として後世まで残して欲しいです。
長崎は 江戸時代から出島があり 建物や食べ物もオランダ風があったでしよう
神戸は開港するまでは本当に人のいない寒村でしたから 明治になって急激に発達したのですよ
竜馬が海軍総連所にいた頃は何にもない浜辺だったのですよ
いま メリケンパークの海洋科学館で展示しているようです
このビルは 居留地ではなくなってからの建築で 日本の会社が日本人の設計で建てたものです
神戸は大阪ほどには無秩序にビルを壊さない方向に行っていますね
港としては落ち目の神戸には 美しい街という観光資源しかないのに行政もやっと気がついたようです
次に紹介する 郵船ビルもいいですね
商船三井ビル・・・そうなんですか?
大丸?家具売り場ですか?
神戸に住んで40年にもなるのに知ってるのは外観だけ・・・・
外国を歩いてるみたいです。
それにしても 丈夫なんですよね。
多少の被害はあったでしょうが大震災を生き残ってるのですからね。
もうすぐ100年ですね。
私は 以前からこのあたり海岸通が好きなのです
震災でなくなった建物も有りますが できるだけ以前のとおりに復元して古い雰囲気を壊さないような町並みになっています
ただ この商船見るの東隣のクリスタルの建物は 町並みの調和をちょっと考えて欲しかったですね
多少の被害 といったものではなかったのも 復元したのですよ
まもなく90年になる建物ですが これはぜひ残して欲しい建物です
石積みの建物はいいですね。どっしりした感じがします。
ところで、IE、Chrome、FireFox、RealPlayerではちゃんと見えるんだけど、Operaでは地図と大丸家具売り場から下の写真だけしか見えません。不思議。