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鶉野飛行場 地下防空壕は戦闘指揮所


鶉野(うずらの)飛行場案内人のボランティアさんがバスに乗り込まれて 戦争遺跡へと 向かいました
周囲は田んぼ 農地 牧場 工場もありました

飛行場跡地は 戦後 滑走路付近は 米軍に接収されましたが その他の部分は入植が行われれたのです
米軍の接収が解かれた後は 防衛庁が管理し 陸上自衛隊の訓練施設になっていましたが 
2014年に防衛省から財務省を通じて加西市へ払い下げられる方針が決まり、2016年6月に払い下げ手続きが完了しました

狭い道を曲がり コンクリートの小山の前にバスは停まりました

地下戦闘指令所 防空壕

ここが 戦争末期 急ごしらえで作られた 地下戦闘指令所 及び退避壕 です
入植された農家の敷地内にあります
500トン爆弾にも耐えることができるコンクリートの塊は壊すこともならず そのまま70年近く眠っていたのです

この形になるまでのいろいろは続きでどうぞ

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つづきです

防空壕へと行く道の周囲は田んぼです

鶉野 田んぼ

曲がり角に案内板がありました ここから100mだそうです

防空壕への 花の道案内

そして コンクリートの小山の前に来たのです

防空壕

地下壕への入り口です

地下防空壕への入り口

戦時中は かまぼこ型のコンクリートの上に 土を盛り 小山に見えるようにカモフラージュしてあったそうです
昭和20年3月に空襲を受けてから作ったのです

格納庫付近にあった地上の飛行指揮所が空襲の標的になるため 地下に対弾構造の指揮所を作ることになったのです

防空壕布きん 

工事は秘密裡に行われ 建設工事には 航空母艦「隼鷹」の乗組員が従事しました
 航空母艦「隼鷹」は 24,000トン 63機の飛行機を搭載し 日本の航空母艦では初めてレーダーを搭載した新鋭艦でしたが 20年 米潜水艦の魚雷攻撃を受け 損傷しながら佐世保に帰港したが 機関部の損傷激しく 修理不能となって 余剰乗組員の行き場として ここ 鶉野の防空壕建設に 530名が20年3月やってきました
地下指揮所の完成は 20年5月です

姫路に 川西航空機姫路工場があり  紫電 及び紫電改を作っていました
鶉野には組み立て工場 (防空壕の地図斜め左上 黄色い部分 15 16 と番号のあるのが工場) があるので空襲が激しくなってきます

工場も林のようにカモフラージュをしたそうです  

5月に完成して 7月になると 日本の残存艦艇や航空機を破壊数るための空襲が激しくなり 鶉野にも 24 30日と敵機は襲来しました

そして8月15日 終戦
たった2か月で 用を終えたのです


では 中に入りましょう

防空壕入口

薄暗くて急な階段です 手すりをつかんで そろそろとおりました だから階段の写真はなしです
階段と暗闇恐怖症です

防空壕 最初の小部屋

通路はクランク状に折れ曲がり 爆風が直接室内に入らないようになっていました

直撃弾が来ても部屋に爆風が直接入らないように厚い壁で 防いでいるのです

あいさつ文がありました

案内板

この場所は 戦時中は こういう場所でした

防空壕布きんの図

あいさつ文の中ほどに書いてありますが 飛行場跡は入植地となり 防空壕ごと 土地は 入植者のものとなったのです
地下壕は 水が溜まり そのまま放置されていました
そこを消防ポンプを借りてきて 水をくみ出し 電気を引いて 中を見ることができるようにされたのです

鶉野 地下防空壕

防空壕はコンクリート造りで2部屋あり、東部屋が縦3.7メートル、横4.7メートル、西部屋は縦3.7メートル、横3.1メートルです。
両部屋とも天井はドーム状で、高さは最大約3メートル。壁は厚さ約1.5メートルの部分もあり、頑丈に造られています。

壁には資料がいろいろ展示してありました

鶉野 地下防空壕

奥の部屋です 天井に紫電改の模型がつるされていました
左の男性は ボランティアの案内人さんです

鶉野 地下防空壕

戦闘機の車輪 本物です

鶉野 地下防空壕

川西航空機姫路工場では 「紫電」446機製造  20年3月より「紫電改」生産開始 44機製造 
併せて490機 
飛んで行って 帰ってこなかったらどんどん少なくなっていきます
最後のほうは練習機も飛んで行ったそうです

資料として 特攻隊員の遺書が展示してありました 見るのもつらくて嫌です

終戦後に残存した航空機

紫電 57機
紫電改 13機(他に未完6機)
零式練戦 3機
白菊・彗星・銀河・90式陸練・陸軍高連各1機、93式中練2機

紫電3機がアメリカ本土に回航され 現在も あるようです

この紫電を一機返してもらえないか もしくは 1:1の模型が作れないかと鶉野の案内人さんは話されました

壕から出ればそこは のどかな風景でした

ここは神戸大学農学部の牧場なのです

並木道と馬

戦闘機と川西航空機について ちょっと調べてみました

ゼロ戦と言われている戦闘機は 零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は、第二次世界大戦期における日本海軍の主力艦上戦闘機で 開発は 三菱重工業 中島飛行機でもライセンス生産をしていたのです

川西航空機は 西宮市鳴尾村 甲子園球場の南東に工場 飛行場があり 軍需村となり 鉄道も東海道本線から工場へ引き込まれていた それが現在の阪神電車武庫川線となりました
鳴尾飛行場は 戦後は 米軍に接収され 昭和32年に接収解除になっています

川西航空機は宝塚にも工場はあり 現在そこに新明和工業があります 阪神競馬場の隣です
川西航空機は 戦後新明和工業と名前を変えたのです 航空機部門もあります
駅の通路に大きな広告があり しぶきを上げるカッコイイ水上艇をみた記憶があります

昭和30年にできた後楽園遊園地のジェットコースターは 明和工務店が作っています 前身は川西航空機 建設部です
アメリカの映画「これがシネラマだ」にローラーコースターが写っているのを見て研究したとこの間TVでしていました

 鳴尾には 新明和はなく 団地と 武庫川女子大学 中学高校があります 


以前に紫電改について書いたことがあります
 私の母校(高校)同窓会では 毎月卒業生がかわるがわる講演をするトークリレーというのをもう10年以上前からしています
8月は 戦争を考えるがテーマで 毎年 いろんな方が講演をしてくださいます
今年は 「抑留された女たち 満州からシベリアへ」 という題で シベリア抑留された女性たち 主に従軍看護婦 の話を聞いてきました
12年前の2005年8月に 「大阪大空襲」といタイトルで blogに書いたのは 大阪淀川区にある紫電改のフラップを作っている工場に学徒動員中に空襲に合い 大けがをして九死に一生を得た女性の話でした
普段は卒業生が講演するのですが このときは 同じ工場に動員されていた女学生の方に話に来ていただきました
良かったら これもぜひ見ていただけたらなと思います

軍事訓練をする中学生の動画もあります

大阪大空襲」 リンクつけています 良かったら見てくださいね

長くなりました

最後までありがとうございました

次は 滑走路と 平和祈念の碑苑 を案内いたします


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カメラ機種名 Canon PowerShot G7X MarkⅡ
撮影日時   2016/11/22



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Theme: 兵庫県 | Genre: 地域情報

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