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坂の上の伊予松山城 その1


♪ 呉から船に乗って 松山についた~~
  ここは 城下町 マドンナがいるよ

  「長崎から船に乗って・・・・・」 のメロディーで歌ってね

いよいよ お城に行きます
ランチをした伊予鉄ビルのすぐ横から城への坂道が続いています
そこを登っていくのです

城への坂道

左の石碑は JR駅前にあったものです

「春や昔 十五万石の 城下町」   正岡子規

「春や昔」は 司馬遼の「坂の上の雲」の第一章のタイトルに使われています

ロープウエイ乗り場へと続く坂道は  500mぐらいでしょうか
大街道商店街になっています
おばさんの好きそうな小物を売る店がいくつもあって 覗き込んでは なかなか前へと進みませんでした


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続きです

松山城は 羽柴秀吉の家来 賤ヶ岳の合戦の7本槍のひとりとして有名な加藤嘉明(かとうよしあき)の建てた城です
秀吉の家来ですが 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いにおいて徳川家康側に従軍し、その戦功を認められて20万石となります。
そこで嘉明は同7年に道後平野の中枢部にある勝山に城郭を築き 松山と命名しました
その後も工事は継続され、四半世紀の後にようやく完成します

加藤嘉明は秀吉の死後は 淀君 石田三成側につかずに 家康側についています
七本槍の武断派は 光成とはそりが合わず 家康についたほうが多かったのです 熊本城の加藤清正もそうです
 
城の主は 加藤氏の後 蒲生氏 松平氏とうつり 最後の藩主は 松平 定昭です

ロープウエイ乗り場に 松山城の俯瞰写真がありました

松山城

城好きなTOSSYですが 今まで上がった天守閣は平城ばかり 山城は初体験です

もう一つ 岡山県高梁に松山城があります
ややこしいので 備中松山城と呼ばれていますが ここは標高400mの現存天守を持つ山城です
高梁には行ったことがありますが 城は町から見上げただけで 登っていないのです

とっても嬉しくてわくわくしながら ロープウエーに乗りました 
乗車定員47名 10分間隔で運行しております。所要時間は約3分 往復510円です
大きな荷物はロッカーに入れるように ロッカーが設置されていましたので キャリーや リュックは預けて身軽になっていきましたよ



空中散歩を終えて 降り立ったのは 天空の城 って ちとオーバー 長者ヶ平に到着です

ここで 松山城の縄張り図です
縄張りというのは 今の使われ方とはちと異なります
ここは○○組の縄張り なんというのとは違うのです

縄張りとは 曲輪や堀、門、虎口等の配置をいいます
城の良しあしはこれで決まるのです

松山城map

ここにも子規の句碑が

松山城 子規句碑

ここから天守閣まで 約10分ということです

石垣がきれいです 本丸南面の石垣です
天守閣へと続く道 登城路だったのでしょうね 上の櫓は隠れ門続き櫓です

櫓と石垣

後ろを振り返れば 巽櫓 
櫓の下の石垣のカーブが美しいです

巽櫓下の石垣

要所要所に案内の説明板が設置されています

説明板

いま 私たちが立っているのは ここ 
ここからいくつもの門をくぐって本丸へと進むのです

順路説明

道に沿って桜が植えられていました
陽光桜 かわいい実がなっていました

この辺りに昔は大手門 揚木戸門があったのですが今はもうありません
石垣に沿って 進みます

曲がると 櫓が見えてきました
櫓は 太鼓櫓 ずっと向こうに見えるのは 天守閣です
ここで 案内ボランティアの人に声をかけられ いろいろと説明を聞きながら進むことになりました

太鼓櫓を望む

このまままっすぐには進めないのです 
元々は中の門があって その先は崖です
人がいますね あの辺りで ヘアピンカーブをUターン です

曲がった先に門がありました
これは 戸無門 門だけで扉がないのです
無くなったのではなく 最初から無かったようなのです

戸無門

門がないとなれば せめて来た敵は ダダァ~と入ってきますよね さぁどうしましょ
入った先には 門が二つもありました

一つは筒井門 その奥にもう一つ隠れた門があったのです

3つの門

敵が入ってきたら 筒井門にひきつけ 少し背後の隠れ門から攻めるという攻略だったのでしょうね

筒井門は戦前は国宝でしたが 昭和2年放火により焼失 昭和46年復元されました
隠れ門は現存 慶長年間の築城時の建築と思われます 重要文化財です

筒井門

隠れ門 映し忘れていたみたいです
説明板の絵を写していました

筒井門

ここからは眺めがよかったですよ

筒井門から入っっていきますと 桝形があり 太鼓門に ・・門が続きます

太鼓門

筒井門の石垣は 作り直していましたが ここのは古いですね
太鼓門は 昭和20年戦災で焼失 昭和47年に復元されています

太鼓門は本丸を守る最後の門です 抜けるといよいよ本丸です
天守が目の前ということで 太鼓櫓も 巽櫓も目に入りませんでした

登城路から写した太鼓櫓 これは復元です

太鼓櫓 復元

長くなりました
今日かここまでということにしますね

次回はいよいよ本丸

天守閣にも登ってきましたよ~
見てくださいね

最後まで見てくださってありがとうございました

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カメラ機種名 Canon PowerShot G7X MarkⅡ
撮影日時   2016/05/11
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コメント

No title

mixiで拝見してのぞきに来ました。
何時も詳しい説明で行った気持ちになってます。
歴史を感じて居ます。
お城は大好きですが、高齢になると歩くのがつい辛くて。
震災の被害を受けた熊本城も天守閣、鶴ヶ城は下から見ただけ。
犬山城、長浜城は天守閣まで。

2016/06/15 (Wed) 21:35 | HIROちゃんばーちゃん #- | URL | 編集
HIROちゃんへ

松山城は 姫路城ほど広くはありませんが 門をいくつも通って天守に至ります 
私も6年前の夏に姫路城に行ったときは 暑い日で天守までたどり着いたらもうしんどくなって 靴を脱いで中に入ったのですが 大勢の人と急な階段に恐れをなして 戻ってしまいました
若いころに行った記憶はあるのですが 千姫のいたところに入った記憶がありますが天守に登ったかどうか覚えていません
松本城も途中の階まででやめています
最近は頑張って階段上って最上層から眺めています
階段降りるのが怖いです

2016/06/16 (Thu) 01:00 | TOSSY #mXJ0wlpU | URL | 編集
昨年4月

四つの城を巡る旅で ここ松山城にも 行きました。
ひとつひとつ見て 思い出しました。こんな山の上に
どうやって 運んだのかから 疑問の連続でした。
人海戦術 だったのでしょうね。ていねいに説明してもらって
もう一度 行ってみたく思います。

2016/06/17 (Fri) 05:34 | 小紋 #- | URL | 編集

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