舞鶴引揚記念館 シベリア抑留 記憶遺産へ 


今日のニュースで 舞鶴引揚記念館に展示されているシベリア抑留と引き上げの資料が ユネスコの世界記憶遺産に認定されたと報じていました

舞鶴 引揚と言えば 岸壁の母 ですね

ここが引揚桟橋

舞鶴港

舞鶴引揚記念館の裏手にある展望台からの撮影です

復元された桟橋が見えています 実際にはこの場所ではなかったとか聞きましたが・・・

この写真は昨年の3月に行って写したのですが そのままになっていたのです

記憶遺産に認定されたので お蔵から出してきました


では 続きをどうぞ

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続きです

昨年3月に 近くの生協から バスで行ったのです
引揚記念館を見学して 食事のあと 赤レンガ倉庫を見て 若狭に行き箸工場の見学というミニトリップでした

舞鶴引揚記念館 HP

引揚記念館

3月4日でした

引揚記念館前日付

この日 記念館は 大勢の人であふれていました
見学者が多かったのではなく この日 「ユネスコ世界記憶遺産」登録を目指して、ユネスコ(本部パリ)に申請すると市長が記者会見をしていて マスコミが来ていたのです

TV取材陣も来ていて ただいま会見中ですから 見学はしていただいてもいいですが声を出さないように 会見場には入らないでくださいと言われて 静かに展示品を見たのでした

引揚と言っても 何なのか知らない人もおられるでしょうから少し説明しておきますね

昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、旧満州(現・中国東北)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されました。これらの方々を速やかに日本へ帰国させなければならなくなり、“引き揚げ”が開始されました。呉をはじめ順次18港の引揚港が全国につぎつぎと設置され、舞鶴もその役割を担うこととなり、主に旧満州や朝鮮半島、シベリアからの引揚者・復員兵を迎え入れる港となりました。
 舞鶴では昭和20年(1945年)10月7日に最初の引揚船“雲仙丸”の入港から昭和33年9月7日の最終引揚船“白山丸”まで国内で唯一13年間にわたり約66万人もの引揚者・復員兵を迎え入れました。
 舞鶴引揚記念館は、昭和63年(1988年)4月に舞鶴市民や引き揚げて来られた方々をはじめ、全国の皆様のご支援・ご協力によって開館し、再び繰り返してはならない“引き揚げ”の史実を未来に伝え「平和の尊さ、平和への祈り」のメッセージを発信しております。
  当館には、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着をはじめ引揚證明書などの文書類など全国から約1万2千点の貴重な資料の寄贈を受け、常設展示にて1000点を超える展示をおこなっております 引揚記念館HPから引用




展示品は 撮影禁止でしたのでなにも画像はありませんが こんな服装で 零下20度30度の冬を過ごし 労働をしていたのかと思うぼろぼろの衣服や靴が展示してありました
紙も貴重だったので 持っていた小さな手帳に小さな文字でぎっしりと書かれたものや 白樺の樹皮にすすを溶いたもので書いた日記もありました

引揚記念館は 老朽化しているということでこの後 改修工事を行い 27年9月28日にリニューアルオープンしました

記念公園には 戦後間もないころにはやった歌の歌碑がありました
「異国の丘」 と 「岸壁の母」

異国の丘歌碑

『異国の丘』(いこくのおか)は、シベリア抑留の兵士の間で歌われていた日本の歌謡曲で 陸軍上等兵として満州にいた吉田正が、部隊の士気を上げるため作曲した「大興安嶺突破演習の歌」が原曲である。
戦後、シベリアに抑留されていた兵士の間で歌われ、抑留兵のひとりだった増田幸治が作詞した 
1948年(昭和23年)9月、ビクターレコードから発売された。 シベリア帰りの兵士がNHKのどじまん」で歌って有名になり 歌い継がれてきました Wikipediaより引用



こんな歌です



もう一つは 誰もが知っているだろう 「岸壁の母」
岸壁の母とは 引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称です
その中の一人 端野いせさんをモデルにして 昭和29年歌が作られました 歌唱は 菊池章子 レコードが発売され 大ヒットしミリオンセラーになりました

昭和47年(1972年) 大阪万博も終わった高度経済成長の時代に 二葉百合子で 浪曲調セリフ入り歌謡曲としてレコーディングされ こちらも大ヒット 映画化もされました

二葉百合子さんの歌唱はTVでおなじみですが オリジナル歌手である菊池章子さんの歌唱が YOU TUBEにありました 
バックに引き上げ船到着の港の様子が 当時のニュースフィルムでしょうか 入っています



私の叔父(父の弟)は シベリア抑留者でした
戦争が終わって 汽車に乗せられて 日本へ帰れると思っていたら 沈む夕日で汽車は西へと走っているとわかったのだそうです
で 着いたところはウクライナ シベリアほど寒くななかったはずですが 夏服で連れていかれたのでとても寒かったそうです
叔父は 10年近く前になくなりました

また 別の知り合いの方ですが 舞鶴についたとき がりがりにやせていて 自分の足で歩くことができなくて担架で上陸したと話しておられました

歌手の三波春夫さんもシベリア抑留者だったのですね 記念館に展示物がありました
ハバロフスクで約4年間抑留生活をつづけ 思想教育を受け 帰国してから 赤い浪曲師と言われたそうです

シベリア抑留は 捕虜を労働力として使役したのは国際法上 許されることなのかという問題ですが 1956年の日ソ共同宣言で相互に賠償を放棄しています
この条約後にも引き続き平和条約締結交渉を行い 締結後に歯舞 色丹両党は日本に返還すると書いてあるのですが 
1960年 岸信介(安倍総理の祖父)内閣が日米安全保障条約改定を行った事に対してソ連が反発し、歯舞群島と色丹島の返還を撤回したのです

戦争とは 本当に残酷なものです
抑留は 長い人では10年にも及んだのです
戦争にはいい戦争も悪い戦争もありません

南京大虐殺も中国が申請して 記憶遺産に認定されました
シベリアでは日本人は被害者という認識ですが 南京では 加害者として告発されている・・
日本政府は 「中国の一方的な主張に基づき申請されたもの」として、ユネスコを「中立・公平であるべき国際機関として問題」とし、「極めて遺憾」との外務報道官談話がでています
真実はどうなのか 藪のなかですが 全く手を汚していないとは 言えないでしょうね

今日から NHK BSプレミアムで 山崎豊子原作の「大地の子」の再放送が始まっています 土曜夕方6時~
以前に見て 原作も読んだのですが 読むのがつらかったです

引揚戦興安丸の時鐘がありました
時鐘とは 船の中で時刻を知らせるためにうち鳴らした鐘です
興安丸は すでに解体されていて この鐘が舞鶴に 碇が下関湊と三原市の公園にあります

興安丸の時鐘

舞鶴は 古くは 北前船の入ってくる港としてさかえたのですが 明治になって海軍鎮守府が置かれ 軍港として栄えたのです
日露戦争の時は ほとんどの船はここから出港したそうです
今も自衛隊の艦船が停泊していました

自衛隊教育隊

自衛隊桟橋は 土日 祭日は見学できるそうです
この写真の場所かどうかは ちょっとわかりません

艦船

最後に 舞鶴は 肉じゃが発祥の地と言っています

ホテルで肉じゃがランチしてきました
美味しかったです

肉じゃがランチ

TVニュースを見て あぁ 舞鶴行ってきたけれど BLOGに写真もあげていないなぁと急遽 思いつくままに書きました
まとまりのない文章です

BLOGにはあまり政治的なことは書かないという立場でしてきましたが 安保関連法案が強行採決されて ちょっと先のことが不安です
私はもう年いってていますが 小さな子供たちが大人になったときにこういう事態にならないように 戦争とはしてはいけないもんだと 今回初めて書きました

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カメラ機種名 Canon PowerShot S120
撮影日時 2014/03/04


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