スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

長州への旅7 長府城下町を歩く


長州への旅 1日目は無事門司へとたどり着き 素敵な夜景も眺めることが出来ました

2日目の予定は

09:11  門司港   鹿児島本線普通中津行
09:17  門司
09;20  門司 山陽本線普通 下関行
09:27  下関
09;31  下関 山陽本線普通 新山口行
09:40  新下関 

タクシーで長府城下町へ  功山寺 調布毛利別邸など観光 散策 ランチを楽しんだあと

新下関  山陽本線普通  新山口 山口線普通に乗り換え 湯田温泉(泊)

というルートで二日目の宿泊地湯田温泉に行く予定です

新下関駅 在来線

とりあえず 新下関まで行き 新幹線改札口で 呉からやってくる従姉妹と合流します

新下関駅は 在来線との連絡通路は とてつもなく長いのです
前日に着いた時乗り換え時間は7分しかなく 焦りました
途中からは 動く歩道になりました

新下関駅連絡通路

今日は新幹線に乗るのではなく到着する従姉妹を待ち 次の日の復路の新山口からの新幹線の座席指定を3人横並びで確保したいので みどりの窓口のあるここでの待ち合わせなのです

手荷物は新下関駅ロッカーに入れて 身軽になって 長府城下町の観光をします
長府は 山陽本線で一駅東ですが 本数は少ないし 観光スポットが駅の前にあるわけではないので タクシーでの移動にしました

では 長府観光は 続きを見てね

前日の下関 関門トンネル 門司港などをまだ見ておられない方 ぜひ見てくださいね
それぞれリンクつけています 別窓で開きます


続きに行く前に いつものお願いです

ブログランキングに参加しています  応援してくださいね

バナー または こちら FC2ブログランキングを プッチンと クリックしてね

 今日も 応援 ありがとうございます m(__)m 

応援クリックは 一日一回 有効です
毎日クリックしてくださったら もう とびはねて喜びます うれしい!
続きです

いよいよ女三人旅 はじまりはじまり

ずっと昔 呉に住む高校生だったいとこのKちゃんが夏休みに大阪に来たのが初めての出会いでした
妹とKちゃんは同い年なのです

妹が自分の学校へ連れて行ったり 難波のスケートリンクに行って ミナミでたこ焼きを食べたりしたのでした
それから年はたち 10年に一度ぐらい会う機会があったけれど 旅行に行ったりはしたことはなかったのです
3年前だったか 妹と広島の大久野島(うさぎ島)に行く計画を立てたとき 会いたいと電話したら Kちゃんは 二つ返事で 車を駆って大久野島まで来てくれて まっさんのふるさと 竹原に連れて行ってもらい そのあと彼女の家にもよって そこから一緒に宮島に行き一泊しました 「2013広島旅行」

その年の秋には 京都の紅葉を見に来て TOSSYの家に一泊
翌年の春(昨春)は 神奈川の妹も来て 3人で有馬温泉に泊まり 宝塚歌劇を観劇しました

今回が3回目の3人旅
のんびりとできるところに行こうと 維新の旅なのですが萩は避けて (萩は 3人とも以前に行ったことがあったので) 城下町長府と 西ノ京といわれる山口市に照準を合わせました
長府も山口市も TOSSYは一度来ていて いいところだなと思ったのです

城下町長府 ここは 長州萩藩の支藩なのです

長府というのは 大化の改新の後長門の国の国府が置かれたところだから「長府」と呼ばれるようになったと「日本書紀」に書かれています 古い歴史のある街なのです
江戸時代には 長府毛利藩5万石の城下町として栄え 幕末には 維新回天の舞台となりました

支藩(しはん)は、江戸時代の藩主家の一族が、弟や庶子など、家督相続の権利の無い者に所領を分与する(分知)などして新たに成立させた藩のことである。このほか有力家臣の所領も支藩という場合がある。
長州藩の毛利氏においては、毛利輝元の実子の秀就の系統が、第4代藩主の吉広で絶えた。輝元のもとの養嗣子の毛利秀元は、輝元に実子が誕生した後は嗣子の座を降りて別家を立て、関ヶ原の合戦後は長州藩の支藩である長府藩主家となっていた。長府藩主家から吉元が毛利宗家を継ぎ、長州藩第5代藩主となった。長州藩主(毛利氏宗家)は、以後は秀元の系統に移ったWikipediaより引用

 

こういう歴史 知らなかったなぁ

では 長府お散歩です

新下関駅からタクシーで 2000円程度の距離でした
壇具川ぞいがお散歩コースですので 観光会館まで行ってもらいました
↓の地図で 一番下にある のところです

長府お散歩マップ

観光会館で お散歩地図などをゲットして 壇具川沿いの道を歩きます

壇具川ぞい

川には にしき鯉が泳ぎ カモもいます 夏には蛍が飛び交う清流です
壇具川って変わった名前ですね

案内板によると
壇具川の名称は 神功皇后が三韓鎮治のとき この豊浦の地(長府)で祭壇を築き天神地祇を祭りその祭壇に用いた道具を流した川ということからその名がついたと伝えられている  そうです

壇具川沿い風景

私がこの前に来たのは 2006年11月
その時には川沿いに四角いコンクリートの建物はほとんどありませんでした

いまは マンションたっていましたねぇ

向こうから かわいい子供たちがお散歩です

壇具川 二人

この二人が旅の道連れです

街のあちらこちらにこういう歴史プレートがありました
竜馬はどこにでも出てきますね

歴史案内

2006年に来た時にみた覚えのある建物 武家屋敷の赤い門のある家は 喫茶店になっていました

赤い武家門のある家2015

↓が 2006年の風景
2006年には波打っていた屋根もきれいに修復されていました

赤い門の家2006

この辺りは 江戸時代侍の住む区画だったのです 侍町です
今も侍屋敷の長屋が保存されています 地図②番

侍屋敷長屋

川は 都会で見るような三方をコンクリートで固めたような川ではなく 草が生え花も咲き 初夏には蛍が飛び交うのです
気持ちのいい道です

花の咲く川

川に沿っていくと 毛利家の菩提寺が二つあります 功山寺と笑山寺です
長くなりますので お寺は次回にご紹介します

今回は街歩きを書きますね
10年近く前に行ったときに比べると 武家屋敷が減っていました
先にアップした長屋のすぐ手前に 以前はこんな長屋がありました
手前に写っている塀は 武家屋敷長屋の塀です

古い建物2006

この区画はほかにも古い建物があったのですが 今はこんな風になっていました 地図 CAFEのマーク

喫茶四季の庭

喫茶四季の庭となっていて軽食もありましたので ここで簡単な食事をしました

お庭があって素敵でした

喫茶四季の庭

お寺のほかにも毛利家が明治になってから建設した別邸があり そこも素晴らしい建物とお庭です これも次回ご案内します

今回はここまで 最後までありがとうございました


ランキング応援クリック まだの方 良かったらしていってくださいね

こちら FC2ブログランキングを プッチンと クリックしてね

花日記「今日の花」は 毎日更新をしています  こちらもよろしければ見てくださいね

過去の記事 一覧は こちらで 見ていただけます お時間のある方は どうぞ


当BLOGで使用している写真 動画の複製 無断使用 お持ち出しは ご遠慮くださいね




カメラ機種名 Canon PowerShot S120
撮影日時 2015/05/14



関連記事
スポンサーサイト
Theme: 国内旅行 | Genre: 旅行

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。