播磨の法隆寺 刀田山鶴林寺


今日は 兵庫県加古川市にある西の法隆寺と言われている刀田山鶴林寺とたさんかくりんじへご案内します
近くのコープさんから 加古川にあるチーズ工場の見学に行って その後 鶴林寺に行ってきたのです

聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つとされていて 西の法隆寺ともいわれている播磨地方の古寺です

境内には 国宝建築が二棟あるのです その他にも重要文化財がズラリ・・・
楽しみですね

まず 立派な仁王門 室町時代建立 県指定文化財です 

鶴林寺仁王門

まっすぐに石畳の参道が続いています

山門内に参りましょう

そのまえに・・
ブログランキングに参加しています  応援してくださいね

下のFc2の赤いバナー または こちら FC2ブログランキングを プッチンと クリックしてくださいね

 今日も 応援 ありがとうございます m(__)m 

応援クリックは 一日一回 有効です
毎日クリックしてくださったら もう とびはねて喜びます うれしい!


続きです

本堂 1397年建立 国宝です
和様 大仏様 禅宗様の折衷様式で 大阪府河内長野市の観心寺本堂と並ぶ、折衷様式の代表例とされています

鶴林寺本堂

本堂で お住職様のお話を聞きました
鶴林寺は 高句麗の僧 恵便法師が 物部氏など排仏派の迫害から逃れてここ加古川に身を隠しました
聖徳太子は恵便法師に教えを請うためにここ加古川に来られました
そして 秦川勝(はたのかわかつ)に命じて三間四面の精舎を建立し、刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが鶴林寺のはじまりと伝えられています

天永3年(1112年)に鳥羽天皇から勅額をいただき、以来「鶴林寺」と寺号を改め、勅願所に定められました

本尊は 薬師如来。日光、月光、毘沙門、時國、十二神将をおまつりしていますが 秘仏で拝観はできません
が 境内に新薬師堂があり そこに別の薬師如来。日光、月光、毘沙門、時國、十二神将をおまつりしてありいつでも拝むことができます

このお堂は壁が殆ど無くて 三方ほとんどが観音開きの扉です とっても寒い・・です
扉は 、桟唐戸(縦横に桟を組んだ扉)です 重厚な感じはしますね

鶴林寺本堂

お住職様の話では 今は境内および塔頭の周囲三方が鶴林寺公園として整備されていますが 昔は塀もなく 近所の子供達の遊び場だったそうです
ボールを大屋根に放り投げて受ける遊びなど平気でしていたと笑っておられました

現在 主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉・室町期には 寺坊30数カ坊、寺領25.000石の規模でした
播磨の古寺では秀吉の中国攻めの時に焼き討ちにあった寺が多いのですが ここ鶴林寺は 近くの姫路城主であった黒田官兵衛の正室光姫の実家が志方城(加古川市)であったので 信長方につき 焼き討ちは免れていたのです
焼き討ちから守ってもらうのと引き換えに多くの寺領を失い 伽藍だけが残って維持するのが大変だったということです
信長のが一通あればまにあうはずなの 各武将が差し出したそうです
それを木の札に書いて門前に掲げておくと 狼藉にあわなかったというわけです
その代わり お金を差し出したのです
守ってやるから 出すものを出せとは まるでネオン街のみかじめ料ですね

本堂でのお話のあと 太子堂へ 
太子堂は 1112年建立 国宝です
太子堂は 宝珠を頂いた檜皮葺の優美な県下一古い建物です
ご本尊は 釈迦 文殊・普賢・四天王をまつり 天井からは天蓋が吊るされ 壁には壁画がかかれているそうです 
秘仏ですので拝観はできません

屋根のそりがとっても美しいですね

鶴林寺太子堂

周囲の壁のようなのは蔀戸しとみどといいます
昼間は 上半分を水平に跳ね上げて軒から下がっている金具で留めてひらき明かりをとっていました
平安時代の寝殿造りに用いられていた建築様式です

鶴林寺太子堂

反対側から見ると こういう形に見えます 
左奥に見えているのは 常行堂 重要文化財です

鶴林寺太子堂 国宝

太子堂の奥には 鐘楼がありました
向こうに見えるのは観音堂です

鶴林寺鐘楼 重要文化財

観音堂です
江戸時代 宝永2年 1705年  ご本尊は 木造聖観世音菩薩立像

鶴林寺観音堂

鶴林寺聖観音元来 観音堂には愛太子観音と呼ばれる白鳳時代の聖観音菩薩(現在は宝物館に安置)をおまつりしていたが 明治時代の神仏分離政策以降は 浜の宮神社の本地仏であった現本尊の聖観世音菩薩(秘仏)をお祭するようになったのです

鶴林寺のもとからおられる観音様は 金銅聖観音立像(白鳳時代) 重要文化財です
あいたたの観音様と呼ばれていて高さ83センチの細身の体を右に腰を捻っておられます

この像には逸話があって その昔 盗人がこの観音を盗み出し 溶かして一儲けを企んだが なかなか溶けないので 腹立ちまぎれに金槌で腰を叩いたら 観音様が なんと「あいたた」と声を出されたのに 泥棒は驚いて仏様を返したそうです
腰が曲がっているのはその時に殴られたからだとか・・

とっても美しい観音様ですが 今は 別棟の宝物館におられます


三重塔 室町時代のもので 県指定の文化財です

鶴林寺三重塔

美しい塔です

鶴林寺三重塔

ここは 新薬師堂

新薬師堂

本堂の仏様は秘仏で お参りはかないません
江戸時代中期に 大阪からお参りに来た医師の津田三碩居士がそれを殘念に思い いつでもお参りできる仏様をと 本堂に対して 新薬師堂を建て こちらにも 薬師如来。日光、月光、毘沙門、時國、十二神将 千手観音 大黒天 毘沙門天を寄進したとされています
どの仏さんだったか ウインクしているように見えると評判なのですよ

本堂の前庭には 菩提樹と沙羅双樹が植えてありました
左が菩提樹 右が 沙羅のきです

鶴林寺 菩提樹 沙羅

釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたとされています
釈迦が悟りを開いた菩提樹は 印度菩提樹ですが 日本では生育が難しいので 中国産の菩提樹が植えられています
中国では熱帯産のインドボタイジュの生育には適さないため、葉の形が似ているシナノキ科の本種を菩提樹としたと言われています

また 釈迦が入滅(死去)したとき、臥床の四辺にあったという、4双8本の沙羅樹。
時じくの花を咲かせ、たちまちに枯れ、白色に変じ、さながら鶴の群れのごとくであったという
ヒンディー語ではサールと呼ばれる。日本語の「シャラ」または「サラ」の部分はこの読みに由来している。
これが 「鶴林」の出典で 鶴林寺という名前は ここからとられているのです
沙羅双樹も 日本では温室内でないと育てられないので ここではシャラノキ(ナツツバキ)が植えられています
                                      以上 Wikipediaより 引用

宝物館です

鶴林寺宝物館

旧宝物館の収蔵品が平成14年に盗難に遭ったことがきっかけとなり、平成24年10月に新たに開館しました

この時盗難された絵画は「聖徳太子絵伝」6幅と「釈迦三尊十六善神像」は戻りましたが、「絹本著色阿弥陀三尊像― 高麗時代」は 2004年に韓国大邱広域市内の寺院で発見されたが、盗品と知らずに寄進を受けたものであったため、返還は困難と言われています

収蔵されている「あいたた観音」として殊に有名な聖観音立像、釈迦三尊像、十一面観音等の彫像、聖徳太子絵伝、慈恵大師像等の画幅、仏天蓋や扁額等の工芸品などはすべて国重要文化財指定の逸品です

宝物館では 「黒田官兵衛と鶴林寺」を開催中でした
官兵衛や官兵衛の父職隆が鶴林寺によこした書状などを公開していました
信長、秀吉らから発せられた禁制などを織り交ぜてこの時代の東播磨を読み解き、黒田家と鶴林寺の関係を探ります。
好評につき、年末まで展示期間を延長しました(秋以降一部展示替え有り)

宝物館の前庭には池がありました
池越しに護摩堂が見えました この建物も1563年建立 重要文化財です
3間四面の入母屋造り 本瓦の小堂です 観音堂とよく似ています

鶴林寺 護摩堂

これは 新しく出来たパワー・スポット 「ふりきる門」です
説明によると
過去の忘れたい思いを振り切るという「ふりきる門」が境内の太子堂東側に出来上がります。不思議な「摩尼車」を回すと、あなたのいろいろなもやもやが振り切れるかも…。

振り切る門

私は別に振り切るものもないし 背を屈めてくぐるのも億劫だったので パスしました

この後 バスは一路帰宅ではなく西へ 姫路へと向かいました
姫路城近くで開催中の黒田官兵衛大河ドラマ館見学です
では またね

最後までお付き合いありがとうございました

どの写真も左上の部分が白っぽくなっています
光がはいったのかと思っていたら レンズ汚れていました
最近あまり使っていないカメラをもって行って レンズクリーナーも持っていなくて 不細工なことです
蓋が外れていて何かが着いたのでしょうね それとも 汚れた手で触ったのかなぁ 
これから気をつけます

ランキング応援クリック まだの方 良かったらしていってくださいね

こちら FC2ブログランキングを プッチンと クリックしてね

花日記「今日の花」  こちらもよろしければ見てくださいね

過去の記事 一覧は こちらで 見ていただけます お時間のある方は どうぞ


当BLOGで使用している写真 動画の複製 無断使用 お持ち出しは ご遠慮くださいね


カメラ機種名 OLYMPUS XZ-2
撮影日時 2014/11/19
関連記事
スポンサーサイト
Theme: 兵庫県 | Genre: 地域情報

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する