黒田官兵衛幽閉の有岡城跡


随分ご無沙汰しました
病気をしていたわけでは有りませんので ご安心くださいね

何を書いたらいいのやらわからない状況に陥っていました
このBLOG 結構ポテンシャル高くしていないと書けないので しばらく休養していました

ボチボチ再開です

と言っても BLOG記事になるようなところには行っていないので お蔵入りになったままの在庫写真に タイムリーなのがありました

ということで 今日は 大河ドラマ黒田官兵衛ゆかりの有岡城跡をご案内します
このあいだ 官兵衛は幽閉されていた土牢から無事救い出されましたね
といっても 有岡城は荒木村重落城の後 まもなく廃城になっていましたので 建物は何ひとつ残ってはいません

史跡公園になっています

有岡城跡


では この後は続きでどうぞ

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続きです

有岡城について 簡単に説明しましょう

JR西日本 福知山線伊丹駅のすぐそばと言うより 明治に城の東部分に駅を作ったのです

有岡城跡案内板


国指定史跡 有岡城跡

伊丹氏がこの場所に城を築いたのは、鎌倉時代末期頃のことである。はじめは居館として立てられたが
 戦国時代を経て次第に堅固な構えになっていった
伊丹氏の城は、天正二年(1574)織田信長方の武将荒木村重の攻撃によって落城した。
その後 村重は信長の命により有岡城と改名し、壮大な城を築いた

有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し 南北1.6km 東西800mに及ぶ惣構が築かれ、要所には 岸の砦・上臈(じょうろうう)塚砦 鵯(ひよどり)塚砦などが置かれた
謀反を起こした村重は、天正6年、信長勢の攻撃を受け、10ヶ月の攻防の末、強固な城もついに落城した
天正8年 池田之助が城主となるが、同11年美濃の国に転封を命ぜられ、背上になった

明治26年鉄道の開通によって 城跡の東側が削り取られたが 土塁や堀など今もよくその姿を留めている。

昭和50年より発掘調査が実施され、土塁・石垣・堀・池などの遺構を検出し 中世城郭から近世城郭への移行期の様相が明らかになった

    平成4年3月 伊丹氏教育委員会 引用



大河ドラマでは 今夜は地下牢から助けだされた黒田官兵衛が有馬の湯で養生していましたね

有岡城は 村重は城を捨てて逃亡し 残された妻女は 京の四条河原で残酷な処刑をされたのです

落城後は 池田之助が城主になりましたが 天正11年(1583年) 之助が美濃に転封されることにより、廃城となり
伊丹は秀吉の直轄領となりました。
その後大名は置かれず,いつしか城は放置され,江戸時代には地元の人々から「古城山」と呼ばれるまでになりました。しかし,焼け残った町屋地区を中心に伊丹の町は酒造りで発展し,15ヵ村一続きの“伊丹郷町”として繁栄しました

有岡城 縄張り

有岡城跡 石碑

石垣の間を 登っていきます この石垣は 新しいものです

有岡城跡

ここに城の中心部があったと言われています

有岡城跡

この石垣が村重時代の物なのです 野面積みという積み方です

有岡城 往時の石垣

建物の礎石です

有岡城跡

井戸も見つかりました
このへんに台所があったのかしら?

有岡城 井戸

駅を作るのに随分と削られてしまっているので あまり残っていないのです

この土が白っぽく写っていますね

水はけの良い土地でおまけにちょっと丘の上
地下水が出てくるような土牢があったかどうか・・・ 確認されていません

この段丘の下の部分では 子どもたちが元気に遊んでいます

最近は女の子が元気です

有岡城跡

この広場ではいつも野球などしていますね

有岡城跡

↓は多分駅の歩道橋から写したものだと思います

有岡城跡

この伊丹攻めのとき 豊中に伊丹攻めに際して刀根山城が築かれました
信長も刀根山に来たそうです
私は知らなかったのですが 高校の後輩の豊中市議がBLOGに書いていたのです こちら とよなか創政記
刀根山御坊 正安寺に 「刀根山御坊由緒」があり その碑文に この場所が刀根山城跡であると記されています

駅から少し離れたところに 猪名野神社があります
ここに 岸の砦が築かれていました

猪名野神社 岸の砦跡

古いお宮さんです
百人一首に
「有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする」
       大弐三位(58番) 『後拾遺集』恋二・709
というのが あります
ここが猪名野なのです  有馬稲子の芸名はこの歌からとったのですよ
阪急電車伊丹線に稲野という駅があります 

猪名野神社

織田信長の庇護の下にいたので 社紋は織田家の家紋(織田木瓜)です

猪名野神社 社紋

秋にはお祭りがあるのです

小さな子供のころ伊丹の近くの塚口に住んでいました 
稲野に住んでいた伯母が 自分の幼児二人と私 妹もいたかどうかは覚えていませんが うすべりをもって電車に乗ってお祭りに連れて行ってくれました

白雪(小西酒造)の道だったと思うのですが うすべりを敷いて座って 時代行列を見た記憶があるのです

まだ10歳ぐらいだったので ちゃんと覚えていないのですが 今はもうその時代行列は絶えてしまったそうです

何年か前に一度復活させたらしいですが まちおこしでしてくれればいいのになぁ

お祭りにはお神輿が出ます

こんな布団神輿 関東の人には珍しいでしょうね

猪名野神社のふとん神輿

これらの画像は 折に触れ撮ってきたものです
季節もカメラもバラバラです

伊丹は古い街ですが 最近は随分と変わってきました
秋の祭りでは よさこい演舞があるので よく写しに行っていました
官兵衛効果で観光客が増えるかしら 増えるといいな
美味しい地ビールもあるよ

伊丹の町並みは このblogでも何度か取り上げています
よろしければ御覧ください

「酒蔵のある街 伊丹散策」
「旧岡田家住宅 酒蔵」
「旧石橋邸 江戸時代後期の商家」

荒木村重の官兵衛幽閉 尼崎城への脱出 有岡城が落ちてから毛利氏を頼っての村重再度の脱出 信長死去後は 村重は出家して茶人として秀吉に仕えています その時期に官兵衛から村重にあてた書状も残っていて 穏やかで丁寧なものだそうです 幽閉から解放されて数年のちに交流があったというのはちょっと考えられないですね

伊丹市のHPの「いたみ官兵衛プロジェクト」に載っています 興味のある方は 読んでね
わかりやすく書いてあります
 

有岡城について もっと精しくおしりになりたい方は 
「伊丹の歴史グラビア 有岡城」に詳しいです 古いお写真が豊富です

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コメント

有馬さん・・・

 以前から歌から名前を頂いた話は聞いて知ってましたがどの歌からまでは知りませんでした。
 彼女は今は介護もしてもらえる老人ホームに入居されるそうです。お一人なんで何か有った時の備えをされてるそうです。
 宝塚の現役時代はテレビでしか知りませんが・・・

2014/06/13 (Fri) 19:23 | ポンタ #A1vz8dvw | URL | 編集
ポンタさんへ

有馬稲子さん そういう施設に入られるのですか
2度めの結婚相手とも離婚されておられますものね
このあいだ ちちんぷいぷいを見ていたら 往年の新喜劇の女優さんも 施設に入っておられました いまもお綺麗でした

加茂さくらさんは お母さんの介護で女優業を休息中とか 
妹さんの加茂みどりさんは お母さんが妹さんとしていらした喫茶店をついで スナックをしておられます
時々 加茂さくらさんもお客として見えられるようです

2014/06/18 (Wed) 14:28 | TOSSY #mXJ0wlpU | URL | 編集

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