大阪歴史博物館 常設展示1


今日は 大阪歴史博物館の常設展示のご紹介です
新しい博物館は光をタップリと取り入れ 窓の外には古の都の遺構が広がっている そういうロケーションにあるのです

前の大阪の連隊の師団司令部を博物館として転用していた頃とは大いにちぃがっています
明るくて見やすくなっています

エントランスからエレベーターに乗って一気に10階に上がります

そこは奈良時代 難波宮の大極殿があなたを待っていますよ

10階エレベーターホールです
赤い柱のところが大極殿です

10階エレベーターホール

では 続きでどうぞ

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続きです

大阪歴史博物館 大極殿

難波の宮と言うのは奈良時代に短い期間ですが ここ難波に都が置かれていたのです
中大兄皇子、中臣鎌子らが宮中で蘇我入鹿を暗殺して蘇我氏(蘇我本宗家)を滅ぼし 大化の改新と呼ばれる革新政治が行われました
その時の都はここ 難波の宮だったのです 孝徳天皇の645年にここ難波を都に定められました

大阪歴史博物館も 難波の宮跡に建っているのです

大阪歴史博物館

横に 長~い窓がありますね
あそこが10階です
あの窓から見える風景は これ

史跡難波の宮跡公園

ここは難波宮跡公園 昭和30年代の発掘調査で奈良時代よりも古い時代の遺構が見つかり 孝徳天皇の難波の宮跡(前期難波宮)と認定されたのです
この難波の宮の宮殿は 686年火災により燃え落ちました

その後 奈良時代の神亀3年(726年)に聖武天皇が難波京の造営に着手させ、平城京の副都としました

こういうふうに難波の宮があったのです

難波の宮跡

朱塗りの円柱の直径は70センチ 原寸大に復元したものです

大阪歴史博物館 大極殿

宮廷に使える官吏 女官たち

大極殿 女官たち

この女官は帝のお世話をする係で スクリーンの中で宮廷の様子をナビゲーションしてくれます

大極殿 女官

前期の難波の宮は飛鳥時代になると思うのだけれど あの有名な壁画の女人とは服装が微妙に違うわね

この壁画

高松塚壁画

ゆったりとしているのは共通ですが 色使いが高松塚古墳の壁画は もろに朝鮮の色使いですね

この史跡難波宮跡では 毎年11月に 四天王寺ワッソというお祭りが行われます
ワッソは現代朝鮮語で「来た」という意味で ワッショイの語源だという説があります

古代のなにわを舞台に行われた、日本と朝鮮半島の交流の様子を「再現」した祭りで 百済と高句麗や、新羅など歴代朝鮮王朝の使節に扮した参加者がワッソワッソと練り歩き 聖徳太子など古代日本人に扮した参加者が出迎えるのです

各時代の朝鮮の扮装をしているのですが 私が見に行ったのはもうだいぶん前で まだ韓流歴史ドラマなど放映していなかったので 服装が珍しかったです

興味がお有りなら 四天王寺ワッソのアルバムは こちら にあります 御覧ください

難波の宮の大極殿は基壇だけしか有りませんが 平城京の大極殿は 復元されていますね
こういう建物です
平城京1300年祭の時の写真です
衣装を貸し出していました

平城京は710年ですから前期難波宮遷都から 65年後ですね

平城京大極殿

ここ難波宮には 基壇があるのですからここに大極殿が復元されるといいですね
赤字に苦しむ大阪市にそんなお金ないわね

今日はここまで 次回は江戸時代にタイムトリップしましょうね


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カメラ機種名 OLYMPUS XZ-2
撮影日時 2014/02/26
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