デジカメ散歩日記

どこに行くにも デジカメがお供 お花を写しに行ったり お寺だったり 近所のお散歩も・・そんな身近な写真です
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今日 伊丹文化ホールに 田辺聖子さんのお話を聞きに行った

高校の同窓生から電話がかかってきてのお誘いだった
彼女とは クラスも一緒になったこともなく 顔も定かに覚えていないという間柄
どちらも 同期生のメールリンクに参加しているので 彼女は私のメールをよんだり ホームページをみてくれていたらしいのです
それで 私は 本が好きと書いてあったので との お誘いでした

田辺文学は すきなのです
最近こそあまり読んでいませんが 相当読んでいます
喜んでお誘いを受けました

久しぶりに 阪急電車に乗って 伊丹まで行く
西宮北口から 塚口で伊丹線に乗換える

実は この沿線 懐かしいのです
子供時代にすんでいました
毎日 電車の音を聞いて育ちました

電車の窓から見える家は 建て直され 昔とは全く違った家になっていました



阪急伊丹駅
阪急伊丹駅に着きました 塚口から3駅です
伊丹駅は あの大震災の時 ペッちゃんこになったのです
TVで何度も放映されたので ご記憶の方もおられるでしょう
いまの駅舎は 場所もすこし動いた新しい駅舎です


ポスター
阪急伊丹駅で ポスターが貼ってありました
田辺聖子文学館という展覧会が開かれているのです
それの記念講演に行くのです



いたみホール
いたみホールは 駅のすぐ近くでした
近くにいる警備の人に年配の方が行きかたを尋ねておられました
市外からの参加者が多いようです

という私も市民ではありませんけれど・・



会場
講演会は 2部構成
「田辺文学を語る」
ミニコンサート

そして 対談「夢とユーモアを追って」
この対談に 聖子さんが出られたの
写真は 報道陣以外ご法度



と 言うわけで 講演会の写真はありません

田辺聖子さんの話される大阪言葉が好きなんですが 今日は 大阪アクセントの標準語で話されていました

田辺さんは 伊丹市にお住まいになって 30年 それを記念して市が展覧会を企画して柿衛文庫で 「ひとつきだけの 田辺聖子展」が 開かれているのです

本格的な展覧会は初めてとのことで 単行本 自筆原稿 可愛い物好きのおせいさんの書斎を再現してあるそうです

フワフワとした雰囲気の田辺さんのお話もフワフワとしていて お年は召しておられるけれど とってもかわいらしい人でした

好きな宝塚のこと 先年なくなられたご主人 カモカのおっちゃんのこと
あっという間に45分間はすぎてしまいました

展覧会は時間がなくていけませんでした

伊丹の町は 清酒の発祥の地なのです
古い家なども残っていて 城はもうありませんが 史跡「有岡城」が JR伊丹駅前にあります

公園のあと 古い酒蔵の内部を煮たり お茶をして 改めて自己紹介ではないけれど おしゃべりをしました
始めてお話したのだけれど 同窓生って面白いですね
話し始めたとたんに 異空間っていうか 異時間の空間に行ってしまうのね
HPを見てくれているっていうのも 親しく感じることの出来る大きな要素でしたね


Sさん さそってくれて ありがとう
楽しい時間を過ごせました

HPや Blogのお陰で net上だけでなく 新しいつながりが増えています
していてよかったなぁと おもいました


今回はここまで 

また 日を改めて 伊丹の散策 お届けします

田辺聖子展は 8月27日まで
伊丹市宮ノ前2丁目五番20号
柿衛文庫(かきもりぶんこ) 月曜休館です



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燃える十三


この写真は 大阪十三の町が 20年6月7日の空襲で燃えているのを 麦畑から眺めている所を描いた絵です
 
13日に 月1回母校で開かれている トークリレーに行った
今月のテーマは 大阪大空襲 
戦争中 労働力が足らなくなったので 中学生 女学生は工場に勤労動員された
当時 16歳で 動員先の工場で 空襲にあい 九死に一生を得た方が 今日の語り部だ

語り部


語り部は 当時 豊中高女(現桜塚高校)を4年終了で 三国にある工場で 戦闘機 「紫電改」のフラップを作っていた
そこには 豊中高女のほかにも 北野中学の生徒の動員されていた

これは 紫電改のプラモデルです

紫電改


空襲警報が鳴り 急ごしらえの防空壕に逃げるが そこに 焼夷弾が 降り注ぐ

空襲


壕を出て 麦畑に分散退避 急降下した爆撃機による 機銃掃射

麦畑


彼女は腕を貫通され 動くことも出来ません
麦に火が移り このままでは焼けると必死で すこし離れた所まで逃げますが もう 動けません
みんな 自分が逃げるのに精一杯 あきらめて横になっていた彼女は、やはり「生きたい」と思い ひとりのおじいさんに声をかけます
そのおじいさんと もうひとり中学生が 彼女を抱えあげて 逃げてくれました
途中 爆撃で おじいさんはやられ 中学生は トタン板に彼女を乗せて 引きずって 運びました

絵4


彼女は 避難所に寝かされ やっと 病院に入ることが出来ます
電気の消えた真っ暗な病院
ここで 彼女は腕の切断を 軍医からいわれますが 母親が必死になって反対し 切らないで処置をしてもらい 阪大の 整形外科に入院することになるのです 

漆黒の病室


提灯をつけて 集まっているところは 死んで行く人のところなのです

このあたりまで 話がすすんだとき 最前列に座っていた年配の男性が グラリ!!
慌てて 横の方がささえ Dr.は いませんか?
床に寝かして救急車を待つ
語り部と同じ工場に 中学生で動員されていた方だ
当時のことを生々しく思いだされたのだろうか

再開された講演は 後日談へと進む
学校に 彼女たち 動員生徒の記録が何もないと知り 記録集を作ろうとした 戦争から30年がたっていた
写真など無いので みな 絵を描かれた
本を作られ その結果 勤労動員されて亡くなった方も 戦死者と同じく補償金が 支払われたそうです
その絵が スライドで映し出された

当日の空襲で 女学生が7人 中学生が2人 亡くなった

心に残った言葉

「戦争を知らない子供たちという歌がありましたが 15年戦争で 私たちは戦争しか知らない子供たちでした」

いまも 世界の紛争地帯では 戦争しか知らない子供達が 多勢いる
とても悲しいことだ

わが 母校は 次の空襲 15日に爆撃され 中学生2人がなくなった
その弾痕の残る壁は 今もメモリアルウォールとして 保存されている

wall


wall2



なくなった生徒がかぶっていた鉄兜


鉄兜1



銃弾が 貫通しました 遺族から 学校に寄贈されました


鉄兜2



殉難の碑


こういう集まりには もっと若い人の参加が欲しいのだが 校庭ではクラブ活動をする生徒もいるが 今回は現役生の参加は無かった
いつも講演をするのは 卒業生なのだが 今回は 他校出身者 助けた中学生が 卒業生

講演に先立って 昭和11年に撮影された 中学生の軍事訓練風景の filmが上映された
当時のfilmは非常に貴重だ 痛んでいたのを デジタル修復して 鮮明に写るようになった

映写したのを写したものです
福知山の陸軍の演習場での訓練風景です
まだ 政局は 差し迫っていませんので 穏やかな表情です

軍事訓練1


軍事訓練2


軍事訓練3


軍事訓練4


追加です

動画を追加します 
16mm映写機が非常に高価だった時代 映像はあまりのこっていません
撮影されたのは 当時在学中の鴻池氏 同窓会に寄贈されました
上映中をコンデジの動画で写したもので 見ている人の声が入っています
当時を知る世代と戦争を知らない世代の会話です 



重たい話題を 長々と つづってしまいました
せめて 年に一度でも 学校にも行けず 戦争で死んでいった彼らのことを 思い出して 今の平和を 守らなければと思います

合掌

リンク  ひみ子の隠れ家さんが 「君死にたもうことなかれ」の前文を載せておられます

     鹿児島のまるこさんも 語り部の幅氏を聞きに行かれて 俳句を読んでおられます

      特攻の心にふれる暑い夏  


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